当時のお笑い界は今と違って歌謡漫才、浪曲漫才が絶対的な人気を持ち、
漫才よりも歌や浪曲を主体にした進行が主流でした....
このお二方も最初は正式な漫才コンビとしてではなく、劇場で当初予定してた
歌謡漫才師が遅れ、急遽穴埋めでイワユルその場しのぎのコンビとして舞台に立ったのが
最初です。
終止喋るだけのスタンスは当時の観客から受け入れられず、歌を歌わない漫才師は要らない
と言われる始末で、漫才中も観客席からヤジを飛ばされると言う散々な初舞台でした。
しかし、この奇妙な??漫才を噂に聞いた吉本のお偉いさんは、部屋に2人を呼び
以前舞台でやった漫才を披露させ、その革新的なスタンスに大絶賛したとか。
コレが元で新進の漫才師としてデビューしたのですが、吉本の守銭欲のひどさは当時から
有名で、演芸場で漫才させるより、映画やドラマに出演させた方が儲かる事から
彼らの漫才は短命というか、あんまり長続きしなかったのが現実です
エンタツのご子息が花木京さんなのは有名ですが、同じく喋くり漫才で一世風靡してた
「チョット君に聞きたい事あるんやけどな?」「どないしてん?」のやり取りで有名な
夢路いとし、喜味こいしのこいし師匠はアチャコの弟子で、師弟関係を持つ事が中々難しい
世界でアチャコの方から声を掛けて来たと言う逸材です。
余談ですが、北島三郎も、過去に駆け出し時代、演歌歌手の前座として
「ゲルピン・ちん太・ぽん太」と言う歌謡漫才コンビのぽん太役で諸国漫遊してた時代が
有るそうです
返信する